創世記シリーズ

創世記  第七話


(作者からのお願い: このシリーズを初めてご覧になる方は恐れ入りますが創世記シリーズ第一話からご覧下さい)


わずか3ヶ月という短い社員生活を終え、私はどうしたかといいますと・・・

ラッピング魂に火がつき、意地でもラッピング関係の仕事を探そうと
必死でした。
必死というと、あれこれ探し回ったように思われますが、頭に浮かんだ某ラッピング会社の店舗が入っている百貨店に電話。

百貨店を追放されたくせに、また百貨店に電話する凝りないわたし。

そしてまたもやタウンページの出番です。

何度も言いますが、フロム・Aでもなく、求人広告でもなく、タウンページ!
職探しは、これさえあれば何とでもなる、万能本のタウンページ。


そしてすんなり、面接にこぎつけてちゃっかり通りました。
バイトですけどね。

ここで、就職難の若者にワン・ポイントアドバイス。
(※ あまりあてにしないで下さい。責任は取れません)

大学4回で、周りがパタパタ就職決まっていく中、不安な方。
大丈夫です!
バイトから社員になる道はかなり有利なのです!
バイトの面接時に「社員になれるのですか?」と聞いておくと
それだけで、まずバイトは98%採用。
バイトから社員へは私の場合100%の確立でした。(3社中3社)

ヘタに良く分からない会社に焦って就職して、思ったのと違ってた・・・
と、なるよりはバイトでじっくりその会社を観察して、適性かもチェックして
決心したら本腰入れて、社員になりたいオーラ満開でまじめにバイトに励み、直接の先輩・上司と仲良くしていれば、よっぽどの事がなければ社員になれるでしょう。

時代にはその時代の就職活動というものがあると思います。



うさんくさい就職アドバイザーみたいになってきたし、親御さんからクレーム来たら嫌なので、そろそろ本題にもどします。





さて、念願のラッピング専門店での仕事が決まり、ウキウキで出勤。

制服も可愛い。
個性派オッケー。

文句なしのスタートを切りました。


24歳  春。








創世記 第六話 1


(作者からのお願い: このシリーズを初めてご覧になる方は恐れ入りますが創世記シリーズ第一話からご覧下さい)




強制退店。


強制(きょうせい)とは、相手が快諾しない物事を有無を言わせずに押し付ける事。また、 その物事を行うように命令する事。その物事を相手の許可なく行使すること。

by Wikipedia

さすがの私もピンチです。
ラッピングしかなかった私にこの職をなくす事は耐えられませんでした。

あぁぁぁ・・・やりすぎた。

今更ながら、腹をくくって課長に謝りに行ってみました。

予想はついてたものの、門前払い。

しかし、私は謝り続けた。

課長が一言。

「君、センスはあるんやから、それをもっと生かせる仕事したらええやないか。ここは百貨店や。」


ごもっとも。


私は、某文具用品会社の社員でしたから、この百貨店を退店になっても
異動というシステムで、他店に移らせてもらう事ができるのでした。
けれど、他の百貨店にはラッピングコーナーがないのです。
やっと手に入れた正社員という立場。
しかもまだ、たったの3ヶ月目。

いくら仕事と割り切っても、私には毎日もくもくと文房具を売るということが
考えられませんでした。
一度火がついたラッピング魂。

自分の失態で失った大切な職。


異動する?


いや、私はラッピング街道を突っ走る。
大型バイクをぶっとばしても、くずれないヤンキーのリーゼントのごとく
私の意志はくずれなかった。


まさか、退店 になったなんて親には言えず、(しかもふざけた理由で)
今時の若者のように
「合わないからやめた」
とシンプルな理由を言い、ボロカス叱られ、
私は、短すぎる社員生活に幕を閉じたのでした・・・



つづく







創世記  第五話


店長の余計なはからいで、最も恐れていた“百貨店の制服”を着用するはめになってしまいました。

おまけに、自慢の茶髪も黒髪にするという約束までさせられました。


お先真っ暗・・・




翌日、じんましんが出そうなぐらい拒絶反応を起こしながら、泣く泣くダサい百貨店の制服に袖を通しました。

髪も日本人形も顔負けの真っ黒。
私は学生時代本当にいろんな髪の色を楽しんでました。
赤・オレンジ。極めつけ水色にまで。

こんなん私じゃない!

けど、周りは新鮮だったようで、全く嬉しくありませんが、なかなかの好評でした。



制服生活二日目。

ここであきらめる川端千華子ではありません。

私が次に目をつけた、自己表現法は
ズバリ、髪型なのでした。

時代錯誤のリーゼントです。

黒髪と言えばリーゼントに尽きるでしょう。

ショートボブの長さをヘアピンを駆使し、昭和のヤンキーも顔負けの
完成度の高いリーゼント。


百貨店をテーマに連想ゲームをしても一生たどり着かない「リーゼント」

「百貨店」 と 「リーゼント」


異色のハーモニーを奏でました。


しかも私は“教養用品課”。



世間知らずのがきんちょだった私は、ここで人生というものを思い知りました。



ザ・強制退店



つづく



創世記  第四話


私は手芸売り場へ向かい、黒い布を買いました。

そして帰宅後、図面を描き、中学校以来触ってないミシンを引っ張り出してきました。


オリジナルスカートを作るしかない!


私が考えた、作戦。

それは、エプロンとスカートが合体した、

『 ポケット付 巻きスカート 』


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このエプロンっぽい部分は、誰がなんと言おうと
大きいポケットなのです。
なぜなら、全て縫い付けて一体化してるから。
これは、紛れもない、スカートなのです。

これがまた、うまいこと縫えたのです。

課長め、絶対文句は言わせるか!

と、自信作のポケット付巻きスカートを何度も鏡の前で試着し、
その見事なできばえに、われながら惚れ惚れしてました。


見た目は、エプロン、でもスカートにくっついてるのでポケット。


私はニヤニヤしながら、翌日出勤しました。


そして、所定の場所、ラッピングコーナーでヤツが来るのを待ち構えてました。

来たーーー!!


その瞬間、私は瞬時にラッピング台にお腹をくっつけ
自信作のスカートを隠しました。

しょせん人間なんてこんなもんです。
しかめっつらの課長の顔を見るなり、怖気づいたなんとも情けない私。


そんな時に限ってこっちに来た。


「おい、何を着てるんや。」

いきなり直球。

無言の私。

「何を着てるのかと聞いてるんや。」

すでにキレ気味の課長。

『スカートです』

ついに言ってやたーーー!!

「違うやろ、エプロンやないか!」

『いえ、これはただのスカートです。』

「エプロンやないか!!」

『ああ、これはポケットです。ほら、カートにくっついてるので。』





数時間後、今度は主任室に呼ばれました。
売り場の主任は温厚で優しい人でした。

「一つ聞きたいんやけど・・・
君の親戚に、アメリカ人はいるのか?」

『は???  いませんが。』

「そうかぁ・・・、おかしいな。どう考えても日本人の考え方ではないなぁ。
君、それをアメリカでやったら、拍手やのになぁ。
でもね、残念ながらここは日本なんだよねぇ。」

と、大真面目におかしなことを言われました。



そしてまた数時間後、店長につれられ、課長に謝りに行かされました。
百貨店のルールには何も違反してないのに謝る気はさらさらなかったのですが、店長に頼むから謝ってくれと言われ、しぶしぶ行きました。


そこで、店長の口からまさかの台詞が。

「明日から、百貨店の制服着せますから。」


クラッときました。




つづく





創世記  第三話


お店を持つ夢が叶うまでの、私の歴史を赤裸々に描いている
“創世記シリーズ”。

今日は久々に続き書きます。

22歳秋

念願のラッピングコーナーで勤務する事ができました。

あのメロンを包んだリボンの感覚をフルに楽しみ、
紙を切ったり折ったり、そういった作業は本当に向いていました。

ラッピングコーナーの先輩が辞めて行き、私は群れから離れたボス猿のようにラッピングコーナーを一人で仕切り、存分に堪能してました。

百貨店という場所は実にいろんな人がいる。
従業員含めお客さんまで。
ラッピング売り場にもいろんなお客様が来られました。


氷川きよしの熱狂ファンのおばあちゃん。
氷川きよしが猫好きらしく、彼のイベントがある度に猫のぬいぐるみを
持ってきました。
包装紙は必ず氷川カラーの青に黄色いリボン。
覚えてもらうためにと毎回この組み合わせ。


お手製の2メートルはある彫刻された鏡を持ってきた人も。
箱にも入ってなく、いびつな形で何枚もの包装紙をつなぎ合わせ
なんとか包みました。


肉屋で買ってきた生の肉を持って来た変な男の人もいました。


どんなお客様であろうと、どんなラッピング難易度の高い品物であろうと、私の持っている全ての技術と経験で仕上げるラッピングは
もはやラッピングではなく作品でした。

ただ、このような過剰なサービス精神は組織の中では時に迷惑なんですね。

「あなたが休みの時、同じようにできない。」


そういう声もあり、普通のラッピングを強いられるようになりました。
今となれば、当然の事を言われてたとわかります。


狭苦しい世界。


当時の私はそんな風に感じていました。

そんな中、私の組織不適合疑惑に追い討ちをかける出来事が。


若かった私は、当時の仕事着が嫌でたまりませんでした。
白いブラウスに、黒のタイトスカート。
それなら、服屋ででも働け!ってとこですが、どうしてもラッピングしたかったんです。

そのスタイルが嫌というよりは、みんなと一緒が嫌だったんです。

そんな時、ふとある作戦を閃きました。

“冷え性届け” を出せば、ズボンがはける。
そして、業務上必要と言う事で、エプロン着用もいけるかも!
光がみえてきたぞ!!

私は早速、書類を作成し、見事に文具売り場のくせにカフェの店員みたいな、白シャツ&黒パンツ&エプロンというスタイルを手に入れました。

あ~幸せ。
これはかわいい。
みんなと違うし♪


と、大満足で仕事着を満喫していた矢先、

課長の影が忍び寄りました。


「繁忙期が終わったから、服装を元に戻しなさい。」

目が点でした。

ちょうどクリスマスが終わった時でした。

繁忙期だからやむをえず許可したというのです。
そんな話、微塵もしてない!

「私は永久的にということで許可をいただきましたが。」

くいつく私。

「明日中に元の服に戻しなさい。」

ガーン

天井からでっかいタライが落ちてきたようでした。

一瞬の夢ならみない方がまし。

っていうか、おかしいやん!
そんな話じゃなかった。
おのれ、課長め!!

しかし、ここは、組織。
言う事を聞かないと追い出される。
職を失うのは困る。


場違いの表現の自由を追い求めていた、若かった私。



でも、ここでへたばる私ではありません(笑)


一休さんもびっくりの、さらなるトンチを働かせたのです。



23歳  春



つづく






創世記  第二話


私の配属先は、“婦人用品課”の“婦人身の回り品係”の
ハンカチ・靴下売り場のハンカチコーナーでした。

面倒な前置きつきますが、百貨店ってそんなんです。

仕事内容は、ハンカチの商品陳列、整理、ディスプレイ、接客、
そしてそして、進物用のラッピング!!

ハンカチを綺麗に折って箱詰めし、あの百貨店特有の包装をして、お得意のリボンをキュッ。

包装はもうお手の物でした。
そのうち、ディスプレイに凝る様になり、ワイヤーでできた什器に
あらゆる結び方や魅せ方を披露したりするのですが、
まさにそれは私にとっての作品でした。

それでも当時の私にとっては仕事は二の次。
恋人との時間が何より大切でした。
結婚資金は徐々に貯まって行きました。

そんな生活を繰り返して約二年が経ちました。

ちょっとした変化がありました。

人事異動です。

私は、なんと化粧品売り場のレジ担当に!!

あのときの失望感は今でも鮮明に覚えてます。
この私がレジ!?  ありえない。
しかしレジの人員不足で唯一動かせるコマがアルバイトという立場の
私だったのです。

無駄に抗議しましたが結果はむなしく、泣く泣くレジに・・・

あぁ、たいくつ。
動きたい。
眠くなる。

苦痛のオンパレード。

嫌々してるのでもちろんミスを連発。
異動させた部長が悪い、適性がないことくらいわかるやろ!
と、イライラが募る。

当時私は、本当に仕事をなめてました。
今思うとなんて最低な人間。

自称最低人間、認めたもののやっぱり向いてない。
体が拒絶反応するぐらい。
ストレスで胃がおかしい。

レジは売り場から離れた奥の隔離された場所にあるのです。

何か自分が本当に壊れそうでした。
どう考えてもやりがいを見出せません。

限界が来た私の心は叫びました。

もっとラッピングできるところに行きたい!!

と、思うと同時に私はまたもやタウンページを開き、
ラッピングコーナーが入っている百貨店に電話しました。

「募集してなかったのですが、何をみてお電話されましたか?」
と聞かれ、まさかタウンページです、なんていえるわけもなく適当な事
言いました。
そして面接にこぎつけ、
「いやぁ、すごいタイミングで来られましたね。実はちょうど募集をかける
前だったんです。ちょうどラッピングコーナーで1名辞めるスタッフが
いたので、本当にラッキーですね。」
と、驚かれ無事面接通りました☆

しかも!

管轄は“教養用品課” の “文具売り場” の

なんとなんと

ラッピングコーナー兼、画材コーナー担当。

ドンぴしゃり。
この言葉がぴったりの心境でした。


22歳  秋



つづく


創世記  第一話


やっと、この分野にたどり着きました。

ずっと語りたかった内容です。

今日は、今年3月3日の店創りに至るまでの、私の長い計画のはじめの事、私の花歴史が生まれるきっかけとなった初期の話を書いてみたいと思います。


私が花の仕事に出会ったのは、案外遅いんです。
今から7年前の25歳。

どうして花の仕事に決めたの?
と、いう質問をよくされるんですが、残念ながらドラマチックな理由ではありません。

ここにたどりついた経緯は次の通りです。

物心ついた時から、色が大好きでした。
自分の創った想像の世界が好きでした。

幼少時代も、人と群れずに一人遊びや創作遊びばかりしてました。
まわりの同級生と全く価値観が合わず、アイドルやテレビに興味がなかった私は、冬の花壇の石をひっくりかえし、冬眠している団子虫の観察したり、露草(青い草花)の色素を絞って和紙を染めたり、どの雲に座ろうかと真剣に考えたり・・・
小2にしてはずいぶんシブい遊びをしてました。

中学、高校も学校の成績は中の下。
勉強はだいっきらい。
学校もだいっきらい。

唯一、音楽と美術だけ通知簿は10。

そんな私に高校の時、担任でもない英語の先生が
「この短大、いいんじゃない?」
と、ある短大のパンフレットをくれました。
美術系の短大でした。

その先生は私が美術が得意なのを知っていたのです。

19歳

記憶をたどると、それがスタートだったように思います。

その短大での生活は、今までの学校嫌いを覆す、まさにパラダイス。
やっと自分の生きる場所、呼吸のできる場所が見つかった・・・

油絵を専攻していたにもかかわらず、卒展ではダンボールで家を作り、
卒展後、皆が大切に作品を持って帰るなか、私のハウスは扉から出すことができず、解体。
何日かしてから、担任の先生に職員室に呼ばれ、いつも怒られてたので
びくびくして行ったら
「校長からお言葉を預かっています。
“ どうか、自由に生きてください ” 」
と言われ、ずっこけました。

そんなパラダイス生活も終わり、
進路は・・・

当時、私は付き合っていた人と結婚するつもりでした。
だから、仕事の事は真剣に考えず、バイトで結婚資金を貯めようとしてました。
学生時代から某スーパーの野菜売り場で働いていたので、その流れで
野菜専門店でバイトをしてました。
これといったやりがいもなく、本当に毎日ぼーっと生きてました。

せっかく短大で美術科の教員免許もとったのに、何してるんやろう・・・


21歳

そんなある日、小さな転機。

進物用のメロンにリボンをかけてました。
くるっとしてキュッ。
くるっとしてキュッ。

その感覚の心地よさに、魂と体が反応。

何これ楽しい!

私は誰より、リボン結びが上手な事に気づきました。

あーーーー
もっともっと結びたい!
キュッとしたい!!

私はどうすればもっと結べるか考えました。

閃いた☆

百貨店で働けば、たくさんプレゼント用があるから包装して、たらふくリボンが結べる!

思いついたらいてもたってもいられない性質なので、さっそくタウンページで最寄り駅沿線上の百貨店の番号を調べ電話。
(ちなみに私は求人雑誌ではなくこの先もタウンページで職場を探すのです。百発百中)

たまたまお歳暮シーズンで短期バイトを募集していたらしく、面接に滑り込めました(笑)
短期募集にもかかわらず強引に長期希望と言い、
見事に私はある部署に配属されました。





つづく