店創り記録①  「 ももの木から華色へ 」



本格的に本日から店創りを開始しました!
“ 店創り記録 ” というシリーズでその様子をタイムリーにお伝えして行きますので、ご愛読ください☆



まず、オープン日を3月3日にした理由をお話します。

私の実家は自営業で、祖父母の代から父母の二代で食堂をしていました。
私はいつか自分の店をこの場所でしたいと考えていました。
でもそれは、曖昧であまりにも漠然としていました。
けど、私は時期が必ず来ると信じ、焦らず時を待っていました。
ご存知の方も多いのですが、パリ滞在中に父の病気が悪化し、食堂は休業になりました。
帰国後、精神的にも辛い状態が続いたのですが、エッフェル塔を作ったあたりから、
頭にぼんやり 『 3月 』 と浮かびました。

3月?
3月か・・・
3月ねぇ。
3月!

考えるほど明確になり、3月に店したい!と母に言いました。
そしたら、
「この食堂が開店したのも3月やで。確か8日やったかな。
でもおばあちゃん、ほんとは3日にしたかったらしいよ。
工事の都合で延びて8日になったって。
桃の節句やから “ ももの木 ” ってつけたって。」

それを聞いた瞬間、この直感は間違いない!と確信しました。

私は2月が誕生日なので、ちょうど33歳の年なんです。

その翌日あたりから、偶然か運命か、おもしろいくらいに「33」という数を目にするようになりました。

ほんの一例ですがこんなんです。



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左から、バーベキューに行った時のレンタルナンバー。その時友人が着ていたトレーナー。たまたま見た走行距離。


こんなんがしょっちゅう(笑)

そして、この2月で私は33歳になるんです♪

だから、きっと何か意味があってこの日になったって思うとわくわくするんです!



私は、小さい頃自分の家が自営業ということが嫌でした。
晩御飯はいつもお客さんが帰ったあと。
お腹すいた~と文句をいってすねては両親を困らせてばかりいました。


高校生のとき亡くなったおじいちゃんは、私をおぶって毎朝店の掃除をしていました。
市場への仕入れも毎回幼い私の手を引いてつれて行ってくれました。
釜に残ったお米で、大きな手で塩おにぎりを作ってくれました。


今は足腰が弱くなったおばあちゃんは、私を毎日お風呂に入れてくれました。
おばあちゃんは、私に絵を描くことを教えてくれました。
人形を作ってくれました。
私は3体の人形に、ヘコカン・ビクカン・ゆきこちゃんと意味不明な名前をつけました。


しょっちゅう喧嘩するけど、私の最大の味方のお母さん。
初めは猛反対だったけど、今は力強く応援してくれてます。
千華子という名前は母がつけてくれました。


そして、記憶に障害が出てしまい、今は私の事がわからなくなってしまったお父さん。
けど、お父さんが 「今がやる時やで」 という事を判らせてくれたんだと
思います。


この場所には、今の私が生きている “ 命の連鎖 ” があるんです。



物件がすでにあるのは、本当に恵まれてると思います。
以前はそれが後ろめたく、甘えだと感じ、別の場所でしようと思ったこともありました。

けど、私は花屋をするためにこの家に生まれてきたと今は思わずには入られません。


母が言ってました。
私が生まれて最初にしゃべった言葉。
それは 「ええなぁ」  だそうです。
花や、花柄の毛布などを指差しては 「ええなぁ」 と言っていたそうです。



だから、この恵みに感謝して、大切に使わせてもらおう
と、決めました。


DSCF3259 ありがとう、

ももの木。















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